投稿日:2024年2月16日 | 最終更新日:2024年10月31日
2004年に『エンタの神様』で大ブレイクした「ギター侍」こと波田陽区さん(45歳)。
「残念!」の決め台詞とともに芸能人に毒を吐く姿をおぼえている人も多いのではないでしょうか。
大ブレイク後はTV出演が徐々に減少していき、今では「一発屋芸人」というイメージが強い波田陽区さんですが、2020年現在は仕事の拠点を福岡に移していること、さらに冠番組を持つなど再ブレイク中であるとの情報をキャッチしました!
再ブレイクしたという噂は本当なのか、そして福岡に移住した理由と再ブレイクのきっかけを調査していきます!
Contents
2020年現在はレギュラー5本で私生活も充実!
お笑い芸人波田陽区さんのラジオ番組に孫選手の出演が決まりましたのでお知らせいたします。
波田陽区さんとラジオ初出演、孫選手のコラボにご期待下さい!
■日程詳細
放送局:カモンFM(76.4HMz)
放送日:2019年1月5日(土)※収録
放送時間:16:00~17:00
番組名:波田陽区の侍フェニックス pic.twitter.com/XnwuHfAX2K— FCバレイン下関 (@fcbaleine) December 27, 2018
波田陽区さんの所属する芸能事務所ナベプロのHPを確認してみると、以下のレギュラー番組が確認されました。
TV番組
・YAB「波田陽区のひるくる!サタデー」(土)10:40~10:55
・RKB「今日感テレビ日曜版」(日)14:20~14:57
・TVQ「土曜の夜は!おとななテレビ」(土)18:30~20:00
ラジオ番組
・カモンFM「ゴジラヂ」(火)17:00~19:00
・カモンFM「波田陽区の侍フェニックス」(土)16:00~17:00
自身の名前が入っている冠番組もTV・ラジオで1つずつありますし、確かに売れていることが判明しました!
また、仕事面以外でも充実してるようで2019年4月13日放送の「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」(読売テレビ)では、
「福岡行って明るくなったと言われているんですよ」
「家賃は東京の3分の1くらい(で生活できている)」
「奥さんと子供と1泊2日の旅行に行ってすごく幸せでした」
と現在の幸せそうな生活ぶりを語っていました。
福岡に移住したきっかけ
【速報】
波田陽区、この春から福岡県民#波田陽区生きていた pic.twitter.com/7E39q85zhd— たかのーち (@msttake) May 4, 2016
現在のレギュラー番組が山口・福岡を拠点としたものになっていることからも分かる通り、波田陽区さんは2016年に福岡に移住しています。
なぜ長らく仕事・生活の拠点としていた東京から福岡に移住してしまったのでしょうか?
きっかけ①40歳というタイミングを1つの節目と考えていた
とあるインタビューでは以下のように回答されていました。
引用元:新R25
当時の波田さんの心境を想像してみると胸が痛くなってきますね・・・。
東京にいた当時の波田陽区さんは、TVにたまに出演しているのを見ても、あくまで「一発屋芸人」として扱われていました。
自分のやりたいことをやらせてもらえない歯がゆさや悔しさみたいなものもあったのかもしれないですねー。
2019年1月5日放送の「訳あって…東京に住むのヤメました」(日本テレビ)では、鳴かず飛ばずだった当時のことを振り返って
「仕事に行くと嘘をついてギターを持って街を徘徊していた」
「それに嫌気がさして親父として立派に生きたいと思うようになった」
と発言されていました。
東京にいたときは顔の痙攣(けいれん)があったそうで、心身共に悲鳴を上げていたようです。
このまま自分を押し殺して自分や子供たちに嘘をついて生きていくことは無理だ!と考え新天地で生まれ変わりたいと考えた波田さん。
その上で福岡をその拠点として考えたのは行き会ったりばったりではなく、ある現実的な見込みがあったからです。
きっかけ②ナベプロの福岡事務所で先に活躍している人がいた
画像出典元:ワタナベエンターテインメントHP
同じ事務所で福岡・九州を拠点に活躍されているお笑い芸人の人たちがすでに何人もいたということも福岡移住を後押しするきっかけになっていました。
0から地盤を作って活躍していくのは途方もない苦労を強いられますが、それなりにマーケットがあってある程度整備してある環境に飛び込む場合は、空いているポジションを見つけることができればそれなりに食べていける可能性がありますもんね。
きっかけ③自分と妻の実家が福岡に近いところにあった
画像出典元:こいもうさぎのブログ
波田陽区さんは山口の下関市出身で、1歳年上の妻である初美さんは熊本の出身です。
実家が福岡に近い場所にあるので、福岡に移住するとき周りに知り合いがいないというわけではなく、ある程度安心感を感じていた部分もあったのではないでしょうか。
心無い言葉を投げかけられたことも
ただ、福岡にいって暖かく迎えてくれる人ばかりだったかと言えばそうではなかったみたいで、「福岡に来てもお前のポジションはないよ」と言われてしまったこともあるようです。
ですが、東京での全てを投げ捨てて人生をやり直すつもりで福岡に乗り込んだ波田陽区さん。そんなことを言われるぐらい覚悟の上だったのではないでしょうか。
福岡空港での接客業から人生再スタート
本日、
福岡国際空港『イモトのWiFi』にて 宣伝部長をさせていただいております!
海外に行かれる方々 お待ちしております✈️。#イモトのWiFi #バリすご8 pic.twitter.com/XmzcLYRsd4— 波田陽区 (@hata_youku) April 20, 2017
福岡に移住してすぐに仕事があるということはなく、
東京にいたときはあった地方営業の仕事も消えたために当初は週5でバイトをしていた波田陽区さん。
そのバイトですが、福岡空港の国際線ターミナル・サービスカウンターにて海外WiFiのレンタルサービスの「宣伝部長」を務めるという接客業務でした。
朝7時から夜まで、スーツにタスキをかけて「いってらっしゃい!」「ようこそ福岡へ!」と挨拶していたようです。
事務所の後輩・イモトアヤコのサポートだった
画像出典元:ワタナベエンターテインメントHP
波田陽区さんが宣伝している写真にお笑い芸人・イモトアヤコさんが写っていますが、二人はナベプロの先輩後輩の関係にあたるようで、「宣伝部長」の仕事はイモトさんのツテで「イモトのWiFi」を提供している会社の社長から紹介してもらったものでした。
自分が困っているときにこうして助けてもらえる仲間がいるというのはありがたいですよね。
波田さんは「一発屋芸人でよかった」という独特の表現で感謝の言葉を次のように語っていました。
引用元:新R25
再ブレイクのきっかけはリオ五輪だった
その後波田陽区さんはどのようなきっかけで再ブレイクすることができたのか調べていくと、意外なきっかけが浮かび上がってきました。
それはなんと2016年にブラジルで開催されたリオ・オリンピックでした。
卓球代表・水谷隼選手と波田陽区の写真が激似だった
画像出典元:Twitter
2016年のリオ・オリンピックは卓球男子代表の水谷隼(じゅん)選手が脚光を浴びた大会で、シングルスで男女通じて史上初のメダリスト(銅メダル)に輝くなどその活躍ぶりがワイドショーで取り上げられていました。
水谷選手の画像が当然番組でも使用されますが、それが「波田陽区と似ている!」となってナベプロにたくさん電話がかかってくるようになったそうです。
波田陽区、水谷隼選手に便乗 「似てる」で番組出演(写真 全2枚) #お笑い #波田陽区 #オリンピック @Japan_Olympic #芸能 #ニュース https://t.co/Md0sTUMhuv pic.twitter.com/o2zbQF4y5t
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) August 12, 2016
ニュース番組で水谷選手が映る度に波田陽区を思い出してしまう🙈
— 船頭 (@sok_kohji_0501) November 20, 2019
波田陽区と水谷隼やっぱりそっくり
— るぷ (@loop_mys) April 30, 2020
今でも「二人が似てる」と感じている人は多いみたいですねー。
波田陽区さんが色白になれば本当に見分けがつかないですもんね(笑)
アナウンサーの一言で自分の殻を破れるように
水谷選手をきっかけに福岡のワイドショーに出演できることになった波田さん。
その際に共演したアナウンサーの方に
「一緒にプロデューサーさんに挨拶しに行こうよ。波田陽区が福岡にいるってちゃんと知らせよう」
と声をかけてもらい、TV局の上層部の方に挨拶回りをしていきます。
東京にいたころは、「どうせ一発屋の仕事しかない」とイジけてふさぎ込んでしまっていたためにあまり売り込みをしていなかったそうですが、そのアナウンサーの方が声をかけてくださったことをきっかけに、自分から「使ってください」と頭下げるようになったそうです。
その後以前は苦手だった飲み会に参加したりTV番組のスタッフの方ともコミュニケーションを積極的にとるようになるなど、東京時代の殻をバリバリと破り捨てて、新生・波田陽区になっていきます。
泥臭く動き続けついには冠番組獲得
昨日、日テレで「訳あって…東京に住むのヤメました」って番組をやってて波田陽区は福岡移住で再ブレイクってやってた。なんか、ゴリパラの3人が少しダブった。。。若干事情は違うとは思うけど。 pic.twitter.com/PL3qJhyh34
— まつけん(東京キッズ) (@yskn_2018) January 6, 2019
TV局の上層部の方に売り込みを続け、スタッフとのコミュニケーションも以前とは変化した波田さんのそんな姿勢が番組のプロデューサーやディレクターの目に留まることになります。
最初は番組のロケを任せてもらえることになり、そこで必死にボケたり、ダメなら突っ込んでみたりと貪欲に働き続けて次第に出演番組を増やしていき、最終的に自分の名前の入った冠番組を持つことができるようになります。
きっかけは偶然だったかもしれませんが、それを足掛かりにしてここまで自分を変え続けて再び結果を出すというのは素直にすごいですね!
イモトさんにしてもアナウンサーの方にしても周りの人が手を差し伸べているのは、波田陽区さんの人柄もあると思いますが、彼の「もう一度やり直したいんだ」という強い気持ちに動かされたのかもしれないですね~。
世間の声
「家賃は東京の3分の1くらい」
「奥さんと子供と1泊2日の旅行に行ってすごく幸せでした」
ローカルタレントとして好感持てる資質あり😏
波田陽区、現在は福岡で売れっ子に 収入は「40代サラリーマンくらい」 (デイリースポーツ) https://t.co/BwhrWDflPt #linenews @news_line_me
— ら。 (@wasshoi_ozn) April 13, 2019
福岡に住んでくれてありがとうございます😊住めば都ですよね🎵ギター侍・波田陽区の現在がヤバい 2016年に家族で福岡に移住し人生激変 https://t.co/CrYZkdhBOu
— ゆりえ (@yuriejunretsu) January 5, 2019
東京が全てやない。
寧ろ東京に居る方がアカン気もする。
福岡で成功してるならええやん😄
福岡に活動拠点を移した波田陽区の現在「東京に戻りたいとは…」 – LINE NEWS https://t.co/a0b6LXhsE1 #linenews @news_line_meから— 狼さん@Wolfen🌐 (@tonbori_wolfen) July 23, 2017
波田陽区さんの仕事ぶりや福岡への移住について世間の反応を調べてみると、思ったより好意的な声が多かったです。
すっかり福岡になじんで地元のタレントとして応援されているようですね!
今回は、お笑い芸人・波田陽区さんの2020年現在の活動や福岡に移住した理由、再ブレイクのきっかけについて調査してきました。
今回の調査をまとめると、
◆波田陽区さんは2020年現在、レギュラー5本で自身の冠番組を持つなど再ブレイク中で私生活も充実している
◆東京での自分を変えたいと感じたこと、成功している先輩芸人がすでにいたこと、夫妻双方の実家が近いこともありナベプロの九州本部に移籍。それに伴い福岡を生活・仕事の拠点に
◆移住当初は週5のバイトでしのいでいたが、リオオリンピックで活躍していた水谷隼選手をきっかけに再注目を浴びた
◆事務所の後輩芸人やアナウンサーの方など周りの支えもあり、自分の殻をやぶり泥臭く動き続けた結果、周囲の評価が変わり出演番組を増やすことができた
ということが言えるのではないでしょうか。
これで今日の芸能人調査室は終わりです。
他の芸能人の調査結果も楽しくご覧になってください、ありがとうございました(^.^)/